農民分解と賃労働の発生 4
もちろん、このような過程は「賃労働者が資本との即自的関係(生産関係)を媒介して階級としての階級に自己を形成する過程」(『賃労働原論』)の第一歩であったということができるでしょう。
・・・さて、主として地租改正を起点として生じた農民分解の過程は、明治前期のマニュファクチュアと賃労働の関係を追求することによってその一端がかなり明らかとなります。
豪農マニュファクチュアはもとより、特に明治10年以降発展した農村マニュファクチュアは、製糸・紡績・織物を中心としていました。
しかし、農村マニュファクチュアといわれるもののうち、政府や各府県が模範工場(富岡の製糸・愛知の紡績・千住の製絨各工場)を建設したことによって、賃労働需要が増大していました。
そこで注目すべきは、明治初年における賃労働成立の基本形態が、通勤労働者であった点です(『日本賃労働史論』)。
しかも「通勤半プロレタリア」(同書)を主軸としていたので、マニュファクチュアが発展し、工場地帯が大規模化するにつれ、資本はたちまち農民分解の限界にぶつかり、賃労働不足に陥るのです。